相対的不幸と幸福、絶対的不幸と幸福について

〜相対的不幸論~

こんにちは。
あい出版Tomokoです。

神やんが扉をノック
…したような気がして
目覚めたのが午前2時。

ノックの音、とだけ
メモして眠りました。

そのメモを眺めても
何も思いつかなかったので

書きかけの原稿につけた
仮のタイトル
「相対的不幸論」について
少し書いてみます。

思わぬ災害や病気、戦争など
絶対的な不幸については
いったん横に置きまして…。

私たちが日常的に感じる
不幸、というのは、ほぼ
相対的なものです。

他者との比較や関係あっての
捉え方、ということですね。

比較対象が存在しない
あるいは
対象との関係がない場合
成立しない、存在しないもの。

もともと、ないもの。

ほとんどの不幸は相対的なので
ほとんどの不幸は存在しない

ということになります。

不幸は、もともと、ないもの
なのですっ!えっへん!

相対する対象というのは
他人とは限りません。

自分の希望・願望・理想
なども対象になります。

こうだったらいいな、とか
こうならなくちゃ、とか
こうあるべきだ、とか

自分の思いと現実の
ギャップ(相対)が
不幸をつくります。

自分の中にある
誠意とか良心に照らすと
たいていのことは

なるべくしてなり
ならずべくしてならず

まぁ、当然の成り行き
ということだったりします。

ここまで書いてから
ハッと気づいたので
(遅い)

「相対的幸福論」
という言葉を検索しました。

「相対的幸福論」
は、ありませんでしたが

「相対的幸福」
というのは、ありました。

18世紀イギリスの哲学者
アダム・スミス
「相対的幸福」
「絶対的幸福」
について書いているそうです。

「相対的幸福」とは
財力・地位・名声・能力などについて
自分と他者とを比較し
社会的に相対的な優位性を得る幸福。
持続性のない幸福。

「絶対的幸福」とは
他者の価値観・世間の評価
既成概念・固定観念などを基準にしない
自分本来の感覚により得られる幸福。
できごと、相手、環境に左右されず
持続性の高い幸福。

うーん…。

となると、仮タイトル
「相対的不幸論」は
アダム・スミスの真似
っていうことになる?

などと、しょーもないことを
考えている今朝のことです。