気になること・気にならないこと~潜在意識が教えてくれること~

以前から「なんとなく」
の大切さについて
しつこく書いてきました。

なんとなく、いい感じ。

なんとなく、ヤな感じ。

この、うまく説明できない
「なんとなく」な感じが
潜在意識からの重要なサイン。

「なんとなく」を掴んで
その波に、ただ乗っかる。

あるがまま、とも言えますし

気をとらえる、ことにもなります。

「気」の話をします。

今、気になること、ありますか?

以前は気になったのに、今は
気にならないことって、ありますか?

気になる・気にならない、も
なんとなく、と同じくらい
大切なサインです。
さらに、気になる・ならない、と
なんとなくのコンビネーションは
最強のサインです。

今、なんとなく調子が良くない。
×(かける)
で、今、あれが気になっている。

≒(ほぼ等しい)
気にしなくていいこと
どうでもいいことを
すっごく気にしている
可能性が大きいです。

でも、気になることは
やっぱり気になるので

その気になることが
自分の人生・世界・時間などを
占拠してきます。

なんとなく調子が良くない
という現状の背景には

他の(過去の)気になることや
なんとなく感じていた何かを
ほったらかしにした結果
…かもしれません。

ほったらかしにした何かに
気づいてよ~、と潜在意識が
語りかけているのかもしれません。

過去を丁寧に振り返るのが
めちゃめちゃ苦手な私は

自分の「なんとなく」「気になる」を
ほったらかしにした結果の
失敗体験を重ねてきましたので

ちょっぴりは過去を振り返ります。

今の「気」は過去も修復してくれるので
今の「気」が充実しているタイミングで
あのときの「気」を掬い取り
上書きすることもあります。

今の「気」のケアも大事です。

なぜ、気になるのか?

なぜ、気にするのか?

なぜ、気が乗らないのか?

なぜ、気が急くのか?

なぜ、気が落ちるのか?

なぜ、気取るのか?

※ちなみに、きどるは、もともと、けどる。もののけに魂を抜かれた状態のこと。きどっているときって、正気を失ってますよね(笑)

そこんところ、静かに見つめると
なんとなく、未来の姿というか
今、気にすべきことに
気づくような気がします。

以上「気」のお話でした。

〜大切なひとりの人の幸福~川端康成の話

今朝は神やんらしき人が
煙管(キセル)かパイプを
咥えているのでした。

パイプといえば

團伊玖磨
チャーチル
マッカーサー
アインシュタイン

あ、康成さんです。

そういえば昨日読んだ本に
川端康成を「康成さん」
と慕う人物が登場しました。

川端康成の名言に
「一生の間に一人の人間でも
幸福にすることができれば
自分の幸福なのだ」

というのが、あります。

出典「一人の幸福」を
あいにく読んでおらず

サクッとあらすじを
確認したところ

妻のある男
男が愛する女
女の弟

が登場します。

男は女を幸せにできないが
その弟の窮状を救うことは
できるかもしれない。

せめて弟を幸福にすることで
自分の幸福を感じる。

というお話のようです。

文豪の意図はともかく。

この世に生まれてきた
そのときに一人は
あなた(私)の誕生により
幸福を感じた人がいるでしょう。

いやいや、あなた(私)は
望まれずに生まれてきたので
誰も幸福ではなかった…

…としても、あなた(私)が
一人の、たった一人の人に
幸福を感じてもらえば

幸福な人になれるわけです。

幸福の定義はさまざまで
「継続的・安定的」という
条件がつくこともあります。

瞬間的な幸福もありますよね。

たとえ誰かを幸福にできなくても

誰かの幸福を想像したり
見たり感じたりすることも
できますよね。

というわけで

図々しくも川端康成の名言を
少々書き換えてみました。

「一生の間に、誰か一人の幸福を
一瞬でも共に味わうことができれば
あなた(私)は幸福です!」

想像力が創造力になる理由 ~そう、かぁ…~

「そう!」…と
ひとこと囁いて
神やんは消えました。

そう…かぁ…。






そう…ねぇ…。

とグルグルしていたら
O先生の言葉が
蘇ってきました。

Y先生と同じく
師匠の師匠です。

境界性人格障害
カウンセリング
に関するお話。

境界性人格障害
境界性パーソナリティ障害
(ボーダーラインパーソナリティ症)
というのは

幼少期の家庭環境や生活習慣
先天的な問題・遺伝的要因などにより
不安を抱えやすく

いつも虚しい感じがあり
激しい怒りを抱えたり
自分を傷つけたり

精神的に脆く
集団生活になじめない
感情がコロコロ変化する

見捨てられることへの
恐怖があるために
見捨てられないように
振る舞う傾向がある…。

なんとかかんとか障害
という名前はともかく

そういう傾向がある人って
…いますよね、そこいらに。

名前をつけるなら
私も、つい最近まで
そうだったと思います。

で、O先生の言葉です。

.............................................
境界性人格障害の人の)
こころを理解し
対人関係を成立させるには
想像力を働かせる必要がある。

痛みや恐れに対する
感情が少ないために

(痛みや恐れはあるが
感情が動かないために)

生きている実感が薄いので

(生きている実感が欲しいので)

たとえば自傷行為などによって
実感を得ようとすることがある。

想像力を働かせることで
対人関係を創造するのだが

想像力は同時に、破壊的な
作用をもたらす場合もある。

二者(カウンセラーとクライエント)は
行動ではなく想像の世界で
信頼や安全を育むと同時に

傷つけたり
傷つけられたり
という関係を生きる。
.............................................

古いメモからの抜粋で
O先生の意図から
ずれているかもしれません。

自分のことすら分からないのに
相手のことなんか分かるわけない

だから相手も、私のことなんか
分かるはずがない

と、どこかで頑なに
主張していた
私の中の幼い私が

O先生の言葉によって
ほどけていった記憶があります。

想像することは
人と人の関係を
創造することでもあります。

相手の気持ちを
慮(おもんぱか)ること
想像することによって

家族・学校や職場
仕事関係・友だち
あらゆる人間関係は

建設的・促進的にも
破壊的にも
創造される

…ということでしょうか。

神やんって、たしかヤンキーだったよね? ~私もグレてたけど~

シリーズ発売当初から
長いことヤンキーっぽい
姿と語り口が特徴の
神やんなのですが…。

近頃は様相がすっかり
変わってしまいまして

かなり神っぽい(笑)

人のようなかたち
人のような声
人のような温かさ

鳥や樹木や風
水や炎

大きくなったり
小さくなって
消えてしまったり

もう、あのヤンキーな
神やんには会えないのか
と思っていたところ…。

今朝は久しぶりに
金髪で現れ
お得意のセリフ

「あんたさぁ…」
を聞いて懐かしかった。

金髪で思い出したのが
心理関係の大師匠である
Y先生の言葉。

いわゆる不良時代を
経験した私にとって
Y先生の視点は
大変ありがたいものです。

タバコ・お酒
金髪・パーマ・ピアス
深夜の外出

あらゆる不良行為
さらにセックス

Y先生は心理療法家に向けて
こうおっしゃっています。

「どうせ大人になれば
誰だってすることだから
そうメクジラたてずに

というくらいの考えでないと
とうてい務まりません。

たしかに規範は大切です。

それより大切なのは
『傷ついたこころ』を
しっかりと包む優しさ。

もうひとつ大切なのは
悪いことは悪いと
毅然と言える強さ。

両方を備え持つことが
大事です」…と。

優しいだけじゃダメ。

強いだけじゃダメ。

そういう大人が
ひとりいてくれたら

子どもは自分の力で
育っていきます。

ひとりで、いいんです。

私の子ども時代を
支えてくれたのは
そういう、ひとりの大人でした。

その人は、どちらかというと
強さが表に現れるタイプで
ちょっと怖い。

でも、ときどき見せる
ちっちゃな優しさに
深みと余韻があった。

どんなに私が悪ぶっても
全く気にもとめない様子で
ただ、そばにいてくれた。

あの人みたいに
カッコイイ大人に
なってはいないけど

なりたいと
今でも思います。

〜数の魔力 過剰数・不足数・完全数と友愛数~

神やんが連続で現れない場合
朝イチのイメージを優先する

または、昨日のつづきを
続ける…ことにしています。

ルドルフ・タシュナー
(注意!シュタイナーではありません!)
「数の魔力」から

美味しいところ
つまみ食い、のつづき。

今日のつまみ食いは
こちらです。
↓↓

【過剰数、不足数完全数友愛数

数字の約数をみると
その数字の「質」を
探求することができる。

これはピタゴラス学派の
人々の考え方。

数字の「質」というのは
その数が「何を」
示しているのか。

数字は、ものの数や距離や
重量、などなど数を表す
共通尺度でもあり

「何か」を示す
質感を伴う概念でもある

という感じですね。

※あくまで私の理解です🙇

その「何か」は
約数の中にあるらしいです。

たとえば「12」

「12」の約数は1/3/4/6/12で
その数自身(12)を除いた
合計は14です。

14は12より大きいので
あふれ出す数
過剰数と呼ばれます。

たとえば「10」

「10」の訳数は1/2/5/10で
その数自身(10)を除いた
合計は8です。

8は10より小さいので
足りない数
不足数と呼ばれます。

たとえば「28」

「28」の約数は1/2/4/7/14/28で
その数自身(28)を除いた
合計は28です。

完全に一致していますので
完全数と呼ばれます。

完全数
「6」
「28」
その次は
「496,8128,33550336,858969056」
なのだそうで

その次が存在するのか
次の次があるのか
奇数の完全数はあるのか

というのは未だ
解明されていないようです。

もうひとつ
友愛数というのがあります。

お互いの約数(その数自信を除く)
の合計が、相手の数と一致する場合。

「220」と「284」は友愛数です。

220約数
1/2/4/5/10/11/20/22/44/55/110/220
220を除く合計284

284約数
1/2/4/71/142/284
284を除く合計220

ピタゴラスは220と284が
友愛関係にある魂を象徴する
つまり友愛数だと考えた。

220と書いた紙片と
284と書いた紙片を
男女が食べることで

恋愛感情が高まると主張した
中世の数秘術家もいたそうです。

遠い日に、息子と見た
ピタゴラスイッチ

そして小川洋子
博士の愛した数式

などを思い出す
今朝のことです。

〜数の魔力 Der Zahlen gigantische Schattern~

夢の記憶がない朝も
寝起きに感じる何かは
神やんからのメッセージ

…だと思っています。

今朝は「数」と「魔」
という文字が浮かびました。

あ、なんか、あったよね。

読みたくて入手したものの
まだ読んでいない本の箱に。

ありました!

「数の魔力」
数秘術から量子論まで)

シュタイナーの著書や
講義・講演録は数限りなく

読んでも読んでも
未読書はなかなか減りません。

しかも一度読んだだけでは
なかなか分かりません。

同じ書籍を繰り返し読むため
読破への道は険しそうです。

さて…。

「数の魔力」をパラパラと
眺めてみますと…?

ん?

なんか、違う?

私が今まで読んだものと
まったく違う雰囲気。

あ!

それも、そのはず。

この本の著者は
ルドルフ・シュタイナーではなく
ルドルフ・タシュナー
というお方でした。

なにやってるんだろ
私…と苦笑い。

オーストリア生まれ
数学と物理の専門家

縁のない世界です…。

が、この本に出会った
ということは
ちょっぴり縁があるかも。

カバーの紹介文には

(以下、引用)
聖書の文言に、バッハの調べに、秘められた数の暗号。人の思考を助けるのが数なら、振り回すのもまた数だ。机上の数遊びは遙かな宇宙を思い描き、一方ではミクロな物質世界の実態をあばき出す。「数える」という営みによって築き上げられた人類の叡智と、叡智からこぼれ落ちた闇の深さを、ごく初歩の数式のみを用いてみごとに描き出した一冊。
(引用、以上)

と書かれています。

ごく初歩の数式すら
分からない者には
…無理かしら?

いやいや、ちょこっと
覗いてみよう。

面白そうなところだけ
つまみ食いしてみよう。

今日のつまみ食いは
こちらです。
↓↓

【かけ算の魔法】

83×25を魔法で計算します。

左の数字が1になるまで
半分に割り続けます。
余りは切り捨て。

右は、左が1になるまで
2倍にしていきます。

83    25
41    50
20    100
10    200
5    400
2    800
1    1600

次に、左右ともに偶数
となる行を消します。

20    100
10    200
2    800

残った右の数字だけを
足し算します。

25+50+400+1600=2075

83×25=2075

ほらねっ!

お時間ありましたら
どうぞお好きな数字で
お試しくださいませ。

この魔法で面白いのが
偶数は「悪い」数字で
奇数は「良い」数字

と、ある時代、ある国の
計算専門家たちが
信じていたことです。

偶数と偶数が重なると
悪いことが起きる。

だから消してしまえ!
という手法らしいんですね。

※あくまで私の理解です🙇

良い悪いで仕分けするのは
個人的に好みではありませんが

感覚的な捉え方と
数式が噛み合う

という感じは好きです。

数学や物理に詳しい方が
この投稿に出会わないことを
心から願っております(笑)

箱庭療法の非科学的根拠

男児も女児も
鳥も風も
色も香りも

夢に現れるのは全て
神やんの一部
だと思っています。

が、今朝は
な~んにも現れず
ただパチッと目覚めました。

ここ数日、Y先生の言葉は
私の身体を揺らすほどの
強風となって蘇ります。

箱庭療法というのは
もともとイギリスで始まった
子ども向け心理療法でした。

その後、大人向けに発展し
日本に持ち込んだのは
あの、河合隼雄氏です。

感情を言葉にするのは
子どもでも大人でも
同じように大変なことです。

言葉を使わずに表現する手法として
アートセラピーがあり
箱庭療法があるわけです。

テーブルサイズの小さな砂場に
ミニサイズの人や動物植物
建物や道具を配置します。

何を
どこに
どのように
何を
置くのか

に、感情が現れる
というわけです。

言葉による表現という
ストレスを感じることなく

今の気持ち、状態を
自然に表しやすく
解放しやすくなる。

心のありようを
「もの」に投影する。

「もの」のありように
間接的に表す。

というような感じです。

私は砂場遊びが大っ嫌いな
(という思い込みを抱えた)
子どもでしたから

箱庭療法を受ける機会が
あったとしても

適当に大人が喜びそうな
あるいは驚きそうな
箱庭をつくったでしょう。

実に感じ悪い子どもです。

Y先生の言葉として
師匠から以下のような
話を聞きました。


箱庭療法の不思議さは
現代の『科学的医学』や
『科学的心理学』にとって
脅威であり挑戦だ」

「『科学的』というのは
ひとつの偏見であり
見方・見え方を制限する」

「そこにある『意味』
そこに現れる『意味』
に敬虔な態度を保ちなさい」

というようなこと…。

ヨレヨレになったノートの
乱雑なメモから発掘したので
正確な言葉ではありません。

が、なんか、すっごく
「うん、うん、うん!」
と思った記憶が蘇ります。

そして今、また
「うん、うん、うん!」
と思ったのです。

アートセラピーでも
箱庭療法でも

なんでもいいじゃん!
というのが私の本心ですが

言葉以外のコミュニケーション
というのは、動物的で
ピュアな感じがして

とにかく好きです。