幸せを感じない、という幸せについて

今朝の夢です。

ちいさな蓮の花が
ポカっと開いて

その中に座っていたのは
ちいさなオジサンです

(写真とは全く異なります)

目がクルっとして
でもまつ毛は白髪で

いたずらっぽい笑顔の
オジサンでした。

多分、神やんです。

わけがわからないのは
いつものことですが

なんだかイイ感じで
幸せな気持ち。

ちいさな幸せを
じんわり感じるのは
とても幸せですが

もしかしたら

奇跡的な恩恵をうけながら
それを幸せと気づかず

小さな不平不満を
抱きつつ生きることも

幸せのかたちだと
ふと思ったのです。

不平不満を抱けること
それ自体が幸せ。

後になって、あぁ、あの
何でもない日常が
とても幸せだった。

と思い返すときのために
今があるのかもしれません。

幸せと不幸せは同じもので
どちらから、どのように
見るかの違いです。

私たちの日常にある
できごとや感情は
すべて幸せの種なので

不幸せを感じたときには
人生地図の上下をひっくり返すと
そこに幸せの街が
見つかるかもしれません。